2007年05月02日

女学校のダンテ。

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きのう、久しぶりに帰省中の友人と会う。
高校の弓道部仲間だったのだ。



女三人でぺちゃくちゃ。
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2007年04月01日

Madame Yの告白

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少し色っぽい話をしましょうか。



それは、わたしがまだ娘時代の話です。
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2006年10月05日

におい。

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空飛ぶ円盤が落ちて来たので、うちで飼うことにしました。
水と空気を与えておけばいいそうです。
そうすると、ニオイを食べて生きて行くそうな。

って、ほんとかな〜?




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大家族だということは、家族ネタには事欠かない。
最近では年寄りを見ていて、先々は自分もこうなってしまうんだろうなあ、と不安になってしまうことが多い。


こないだも
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2005年12月26日

いなほ

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昨夜からまた列車事故が、テレビや新聞を賑わしている。

亡くなられた方、怪我をされた方をはじめ、JR東日本、救助に当たられた方々に、どんな言葉をかけたらいいのかわかりません。



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いなほは身近な列車だ。
この辺りに住む人は、ほとんどが新潟回りで東京へ行く。
新幹線への連絡列車でもあるのだ。

なにしろ空港が出来たとはいっても、JRは国鉄の時代からなじみ深い乗り物だし、便利だ。
内陸を横切って、秋田新幹線〜東北新幹線で向かうよりも、はるかに速い。

わたしもちいさい頃から、「東京へ行く」といえば、いなほだった。
学生時代も含め、何度となくお世話になった。



それが、事故だなんて。



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この辺りは普段から、台風並みの風が吹く。
何度もJRの基準が示されていたけれど、あのぐらいの風では、遅れこそすれども運休になるなんてことはあまりない。

しかし、昨夜の風はまた特別だったようだ。
今朝ゴミ収集に来てくれた業者の方が近くに住んでいるという。


「家ががたがた揺れるほどのすごい風だった」のだそうだ。


ここ何年か、「突風」が吹くようになった。
今日も秋田で家がバラバラになっていたけれど、ああいう、竜巻のような激しい風だ。


災難に遭われた方々には申し訳ないが、これは天災だと思う。
そういうことを想定しなかったJRが悪いと言われればそうかも知れないが、いままでの経験や知恵が役に立たなくなっていることも事実なのだ。

22日の大停電も然り。
東北電力の副社長だかが新潟県知事に謝罪に行っていたけれど、では、そういうことがあるかも知れないと思わずに、何の備えもして来なかったわたしたちには、ほんの少しの責任もないのかな。
便利さをアテにして、それが当たり前だと信じて疑わないわたしたちって、甘いんじゃないのかな。




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亡くなられた方にはご冥福をお祈りします。
怪我をされた方には、早い回復を。




でもわたしは、いなほがこんなことになって、とても悲しく思っている。




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asahiニュースサイト→http://www.asahi.com/national/update/1225/TKY200512250243.html
こういうサイトもありました。→「羽越写真館」
                特急いなほ




また、雪が降り積もっている。
寒くて、冷たい。
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2005年09月02日

あたしのこと、好き?

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19のとき、好きだった彼に聞いてみました。


彼は
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2005年08月29日

ほんとうのこと。

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「人間ってね、本当のことを言われたときに怒るのよ」



忘れられないセリフにこれがあります。
槇村 さとるさんのマンガ『ダンシング・ゼネレーション』だったか『N★Yバード』だったか忘れましたが、主人公愛子に、同居人のサラが発した言葉です。


それは
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2005年08月26日

夕焼け

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5時のサイレンが鳴ると、帰りの合図だった。


  ばいばーい

  またねー

口々に叫んでは、それぞれの家へと散らばってゆく。



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学校から帰るとまずランドセルを置いて、朝登校隊が集まる場所へと戻って行くのが常だった。
そこは小さな天神さんが祀ってあるのだ。公園と呼ぶほどには広くはないが、ぶらんこ、鉄棒、シーソーといった遊具もあった。
真ん中のスペースは空いていて、わたしたちはそこで地面に枠を描き、石を使って双六のようなゲームや陣取りをやった。ローカルな呼び名だが、かける、温泉、いっけにけ(一ヶ二ヶ?)。
放ったり、蹴ったり、決まった枠の中に納めるのは、けっこう難しかったりする。片足でけんけんして自分の投げた石のところまで行き、石は必ず足と足の間にまたいでから取るのだ。両足を着いても良いところもちゃんとあって、子どもの遊びながら上手くできたルールだと思う。
男の子たちは、それこそ三角ベースなんてやっていた。ソフトビニールのボールを、手で打ってた。

一緒になって遊ぶのはかくれんぼ、缶蹴り、鬼ごっこ、だるまさんが転んだ・・・。
隠れる範囲を決めて、ちいさい子も不公平にならないようにしていた。鬼ごっこも何種類もあって、助け鬼、手つなぎ鬼が人気だった。
大きい神社にお寺が三軒並んでいる鬱蒼とした裏通りだったが、民家に囲まれて守られているような場所でもあったのだ。



「昔は良かった」と言う気はさらさらない。
良かったのは、ただ安心して帰れる場所があったに過ぎないことを知っているから。
ただ自分のことばかりを考えていればよかった年頃だったことを知っているから。
さりとて、あの頃のように無心に遊ぶ時間も、大人だって必要ではないかと思う。

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車もすれ違えないような道路の脇の天神さん。
この間実家に行ったときに通りかかったら、驚くほど狭かった。
外で遊ぶ子どももいなくなって、遊具は打ち捨てられ、草が茫々だった。




薄暗がりの草の中から、もう、秋の音が聴こえた。




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夕焼けの写真は8月24日のものです。前日とはまた違い、燃えに燃えています。


昨日の 「UFO?」でのヒロ太さんとの会話から自分の子どもの頃を思い出しました。





あの頃、そこは世界の中心で、どこへでも行けて、帰って来られる場所でした。
幼かったわたしには、無限に広がる可能性のようにも思えたのでしょう。
ひっくり返りそうになるほどこいだぶらんこ。
パンツ見えないようにこぐワザがありました。

友だちは高くこいで遠くへ飛ぶのを得意にしてましたが、わたしはどんくさくてダメでした。
いまも、臆病です。なかなか遠くへは、飛べません。
posted by おかめ at 02:31 | Comment(5) | TrackBack(0) | 書く

2005年08月20日

伝えるということ。

よそのブログのことは知らないけれど、seesaaには記事を非公開にしておける機能があります。
わたしはこれを記事の公開予約や、ネタ帳として保存するのに使っています。

その引き出しからひとつ。
旬を外してしまいましたが、らくださんのところの記事を紹介します。
「ネット書評バトルの広告効果」という記事を面白く読みました。
関連記事の「ネット書評バトルの行方」の方にはコメントを寄せてます。
わたしがまとめて紹介するよりも是非本文を読んで頂きたいので、かいつまんで説明はしません。
また、リンク先も併せてお読みになった方が良いです。
以下はお読みになったものとして話を続けます。




わたしは
posted by おかめ at 02:18 | Comment(5) | TrackBack(0) | 書く

2005年08月06日

一本の鉛筆

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  一本の鉛筆     作詞 松山善三
            作曲 佐藤 勝


あなたに 聞いてもらいたい あなたに 読んでもらいたい
あなたに 歌ってもらいたい あなたに 信じてもらいたい
一本の鉛筆があれば 私は あなたへの愛を書く
一本の鉛筆があれば 戦争はいやだと 私は書く


あなたに 愛をおくりたい あなたに 夢をおくりたい
あなたに 春をおくりたい あなたに 世界をおくりたい
一枚のザラ紙があれば 私は子どもが欲しいと書く
一枚のザラ紙があれば あなたを返してと 私は書く

一本の鉛筆があれば 八月六日の朝と書く
一本の鉛筆があれば 人間のいのちと 私は書く




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昭和49年(1974年)の第1回広島平和音楽祭で美空ひばりさんが歌った曲だそうです。
恥ずかしながら、わたしはこの曲を昨年まで知りませんでした。
義母が観ていた美空ひばりさんの特集番組(確かNHK)で、初めて聴きました。

夕飯の後片付けをしながら流れてくる三拍子の曲に耳を傾けていたら、涙が止まらなくなりました。
聴こうと構えていたのではないから尚更、心に沁みたのだと思います。




八月の声を聞くとこの国ではにわかに戦争について語られ始めますが、自分がいかにそれについて無知なのかと思い知らされます。どれが真実なのかも判断できません。戦犯などと言われても、誰の責任だとか決められるのでしょうか。

第二次世界大戦後、捕虜となっていた女性たちを乱暴したのはドイツ兵ではなく、味方であるはずのソ連やアメリカ兵だったと聞きます。暴力や略奪が日常となってしまうと、人間は正常な判断ができなくなるのでしょう。

どんなに本を読んでも、映画を観ても、家族の戦争体験を聞いても、経験のないことは想像がつきません。でもこれだけはわかります。
人々が殺し合っても、そこからは悲しみや憎しみしか生まれません。負の記憶は永遠につきまとい、人を狂わせることをやめないのです。





一本の鉛筆があれば、わたしは何を書くのでしょう。



 

posted by おかめ at 00:19 | Comment(20) | TrackBack(1) | 書く

2005年07月17日

禁じ手。

読んでいて、その情景が浮かぶような文章が好きだ。

想像力は経験値に比例するというけれど、誰かの文章を読んでほかの何かを連想できるということは、とても幸せなことなのかも知れない。
それは、心の中にたくさんの財産を持っているということなのだと思う。
たとえそれが辛くて苦しくて悲しい体験だったとしても。昨日の
posted by おかめ at 22:36 | Comment(2) | TrackBack(0) | 書く