2006年08月24日

うへえ。

9jou060824.jpgこれってば、べらぼうに面白いじゃないの。

というか、わたしが聞きたい話が書いてある。
わたしがこうだったらいいなと憲法に対して思うことが書いてある。

だからって、全てのひとが良いと言うとは思えないんだけれども。


四人の書き手には、わたしのアタマの中を覗ける能力があるのかしらん (x_x) ☆\( ̄ ̄*)バシッ





とにかくさまざまな本を読んでいます。
憲法に関しては最後まで読み切ったものはほとんどなく、というか、次から次へと読みたいものが出て来て追いつかないので、冒頭から面白いと感じられないものはさっさと見切ってしまいました。

きょう現在で読み切った本のリストはこちら→
「読んだ本(絵本以外)2006年8月」




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櫻井よしこさんの『憲法とはなにか』を読んだときには、日本の憲法にはものすごく問題があるように感じてしまい(実際にあるんですけど)、書き換えた方が良いのかもしれないとまで思いました。
『拒否できない日本』を読んだ日にゃ、アメリカにやられっぱなしで、ただシッポ振ってるこの国って何なの?と首を傾げ、なんか、言うこと聞きますからわたしたちを守って下さいね、お願いね、約束したからね、という卑屈さを感じたり(これどっちかっていうと経済の話ですけど、アメリカは自国の利益のためなら日本の憲法を変えることも厭いませんから)。


でも、なんか違う・・・という感じがつきまとってはいたのですよね。
簡単に変えちゃっていいのかなあ、と。


kodomonotutaeru060801.jpgこちらでは、井上ひさしさんがわかりやすく噛み砕いて書いてますが、「憲法とは、これからどんな国になりたいかが書いてあるもの」ということは国としての理想の姿を掲げているということですよね。

それなのに現実を理想に近づけるんではなくて、その理想の方を現実に照らして低く設定し直そう、みたいな衝動を、改憲派の意見には感じるわけです。
どうにも腑に落ちないけど、うまく説明も出来ない・・・。





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でも、『9条どうでしょう』では説得力のあることばが並んでいる。
それは、わたしに対してだけじゃないと思う。


いままで新聞雑誌テレビなどで、改憲派の皆さんが「九条の足枷があるから国民の命が危険にさらされた」というのを多々見て来た。
だから、書き換えて自衛隊を自分(国)の意志で戦闘の出来る軍隊として改めた方が良いと。




・・・マジ?




戦うのは自衛隊員だけではないはず。実践に参加しないわたしたちも贅沢は出来ず、食べるものにも事欠き、我慢を強いられるようになるはずだ。それは前線で戦う兵隊さんへの後方支援となる(かもしれない)。
自衛隊員だって国民じゃないの?仕事だから、命を危険にさらされてもよいの?

そうしたら、ほんとうにこの国はよくなるの?
安全で安心なの?誰も自衛隊に志願せずに、徴兵制が採用されたとしても???

わたしはそんなことになっても自分の子どもたちや夫を「はいそうですか」なんて行かせたくない。
九条を変えてはいけない。
変えたくない気持ちは、ほとんどその部分から発している。





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「九条が改憲されたらどうなるか」を具体的に書いているのが町山智浩さん。
このひとの部分だけでも、この本は読む価値があると思う。
具体的でわかりやすくてかつ面白い。

改憲派の人々は、こういうことは一切言わない。
もちろん、自分たちが戦場に赴くのだとは全く思ってもいまい。

彼の父親が韓国人であることを知ったブログの読者が怪しげな書き込みをして炎上させ、コメント欄を閉鎖させたのはついこの間のようだ。
両親が離婚して母親に引き取られ、日本国籍を取った彼は、以後どこにいてもアウトサイダーのような扱いを受ける。
アメリカの○○系何世といったひとたちを思い出す。


彼は憲法九条が改憲されたら自分といっしょに戦争へ行こう、と誘う。
改憲派の有識者や議員さんたち改憲に賛成したひとたちは、こぞって参加しなければ口先だけじゃないかと嗤う。
それはわたしもいつも思うことだ。

義父なども「こんな人間が夫の親なのか」と思うほどバカだ。
何かというと「日本は戦争しないからだめなんだ」と言い、「いま朝鮮と戦争になったらおまえは徴兵されるだろ」とか、ひとの神経を逆撫ですることを言う。
自分はといえば、近所の医師に「心臓が弱い」という診断書を書いてもらって徴兵を逃れたのだ。
長男だから、家族が助けたのだ。
実際には戦争に行ってもいないのに、よくそういうことが言えるものだと腹立たしくなってしまう。
ものがなくて苦労はしたかもしれないけれど、自分は高みの見物で自分の子どもが戦争で殺されるのはいいなんて、そんな考えを持った人間と暮らしているのはかなりのストレスだ。




・・・・・




あとは、九条が改憲されたらもう歯止めがきかないだろとも予測されています。

・・・現実に軍隊があるから九条を変えるのなら、現実に差別があるから第十四条の「国民の平等」を撤廃し、現実に貧乏人がいるから第二十五条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を撤廃するという理屈も成り立ってしまう。・・・


これは、昨年のエントリ「二四条」も同じだよなあ、と思ったりします。




・・・・・





町山さん。
ただでさえ好きなひとだ。
ますます好きになってしまった。





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日本が欧米諸国と肩を並べようとして植民地政策に走り、失敗したということがわかりやすく書いてあるのは『日本という国』の第一部。
福沢諭吉の『学問のすゝめ』についても、有名な冒頭の一節だけではなく、続く文章も口語訳してくれています。


同じ著者の『単一民族神話の起源』は、まだ開かれてもいず。
まあ、おいおい。




植民地政策について知るなら『砂糖の世界史』satounosekaishi060824.jpg
ジュニア向けなのですが、わかりやすい説明はピカ一。

当時の社会や風俗、文化を知ることが出来ます。
砂糖は「世界商品」と呼ばれる、世界を相手に儲けることの出来る商品でした。
ヨーロッパの国々は勢力を競い合い、金儲けをするために(軍資金を稼ぐためか?)南アメリカや西インド諸島の沿岸に植民し、サトウキビの栽培に力を入れたのです。
奴隷は何のために連れて来られたか、もうおわかりでしょう。
綿花も世界商品でしたが、砂糖の方がはるかにお金になったようです。
しかも土地が荒れてしまうため、どんどん畑を広げて行く必要がありました。
ますます奴隷が必要になります・・・。

こうして次なる植民地をアジアに求めた時、日本がヨーロッパの国々の属国になることを是としたはずがありません。
そこで自分たちも支配する側に回ろうとしたわけです。
これって侵略のために戦争をしたってことですよね・・・。





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一見ジャンルが全然違う本を読んでたみたいなのに、実は繋がっている。
社会も、世界も、その繋がりを見つけるとなんだか嬉しくなってしまうのはわたしだけかな。
気に食わないヤツとも繋がっているのも事実なのですけど(笑)。




posted by おかめ at 23:50 | Comment(7) | TrackBack(1) | 読む
この記事へのコメント
きれいごとを並べているとはいえ憲法9条は的を得ているようなそうでないような。

コレを改正しようとしたら、今の日本では議論するだけでいったい何年掛かってそれに着手するのにまたまた何年かかるのやら。

自衛隊は軍隊じゃないって言うけど持っている装備、武器等は超最高級で湯水のごとく税金をかけてるけど実際はボタンを押せない、引き金を引けないお飾りなんだよね〜

防衛費ってなんなんだろ?

まっ!誰もネコに鈴をつける者がいない???





Posted by ちゅうさん@浜命 at 2006年08月25日 07:25


>>ちゅうさん
防衛費なんて、もしかしたら武器を買うためにあるようなもんじゃないのかとさえ思ってしまいますよ。すると、やっぱり一部の企業、天下りしたお役人が金儲け出来るシステムになってるのがよくわかる。

ただ、侵略されたら反撃してもよい、というふうに九条が書き直されると、絶対に日本は戦争を仕掛ける国になるだろうという不安が、わたしにもこの本を書いた四人の著者にもあるわけ。
何でかって言うと、政治家を動かしてる官僚たちが自分たちの都合の良いように憲法を解釈して、国民にその場しのぎの政策を押し付けて来たから。

アメリカみたいに憲法の条文を補強する形で付け足されて行くのは良さそうです。
でも、その一文をとっても、どうつっこまれてもいいように書くのは難しいよね〜。

これほんとに面白いよ。貸してあげようか?送るよ。
だって、ちゅうさん恥ずかしがりやでお店や図書館にはひとりで入れないでしょ〜(爆
Posted by ヤヤー at 2006年08月25日 14:27
「9条どうでしょう」、僕も読み終わりました。ほんとに面白かったです。内田先生以外の方の文書もいつもブログで読んでいるせいか、非常にしっくりきました。特に町山さんのが強く印象に残りました。
近いうちにエントリー書いてTBさせてもらいますね。
Posted by オカダ at 2006年08月25日 18:14

>>オカダさん
これだけ全然違った視点から「九条を変える必要はない」という結論が導き出されるとは、驚きよりも感動でした。
きょうのタイトルの「うへえ。」は、町山さんに対して「やられたチクショー参ったマチヤマ大好き愛してる!」てな気持ちです(笑)。
「うひゃあ」ではなかった。
わたし自身がはっきりこうだと提示出来る持論がないところに、自己嫌悪を感じたので。

内田先生も噛んで含めるようにこれでもかと詳しく説明して下さいますが、町山さんはもっと具体的。
ちゃんとした理由をはっきりと示すので、わたしはいつもとても納得がいくんです。
オカダさんも町山さんの意見が印象に残ったそうで嬉しいです。
記事楽しみにしております。
Posted by ヤヤー at 2006年08月25日 20:37
私は改憲には大反対です。改憲の最大の眼目は九条の改訂にあるわけですが、いったいそういうことになったらどういう事態になるのか、ということに想像力を働かせなくてはなりません。改憲を叫ぶ連中は自分自身が手に武器を持って戦場に行こうとは露ほども考えていないことでしょう。それは自衛隊員がやることだと思っています。
戦争をやることを声高に主張する人たちは、最前線に送られる兵士のことなんか人ごとだと思っています。爆弾を自分の家に落とされた民衆の苦しみには思いも至らない。そんな想像力の欠如した人たちの主張なんかに絶対に耳を傾けてはならないと思います。
改憲の動きとセットのものとして、教育基本法を改悪しようという動きがあります。戦前の教育勅語のような内容にしてしまおうというものです。子どもも一人の個性ある人格として尊重しなければならないという理念をなくしてしまおうものです。「勝ち組」「負け組み」という言い方にも見られるように、教育にも弱肉強食のむき出しの競争原理を導入していくことを、教育理念として国家が宣言していくということ。これが教育基本法改悪の中身です。「愛国心」の導入とは、個人の尊重ではなくて国家への奉仕です。一切の批判も封殺していく。民主主義の破壊です。
そういう内容に憲法も変えられようとしているのです。60年前の戦争の時だって、特高警察による思想統制がありました。思想統制を行なって一切の批判を封殺したなかで戦争が行なわれたという事実をはっきりと知らなくてはならないと思っています。
さて、参考図書を一冊紹介します。ずばり『改憲問題』(ちくま新書)です。改憲派の典型的な主張を抽出して、それに反論をするという形式で展開されています。
Posted by koi at 2006年08月25日 21:51
>>koiさん
わたしはkoiさんのように断言出来るほどには、確固たる考えを持っていません。まだ議論はし尽くされていないと思うし、そのときどきで反論出来ない理由を説明されると、やっぱり揺れるんです。
それはやはりどこかに不安があるからです。ほとんどの日本人は北朝鮮が攻撃して来たらどうするのかということを考えていると思いますが、わたしは国内に多くの基地を持つアメリカの方が怖い。いつ安保理条約を反古にして豹変するかわからないもの。
国際社会であれだけ非難されてもイラクへの攻撃を正当化して言い訳をし続けている国です。こんな島国の何も惜しくはないでしょう。
・・・わたしはあんまり人を信用していないのかも知れませんね。
大丈夫だろうと思ってはいても、もし万が一どこかの国に攻め入られたら、わたしたちは双手を上げて降伏するのでしょうか。例えば捕虜になったとしたら、どんな運命が待ち受けているのでしょう。そういうことを想像するのも怖いことです。

教育基本法に関してはまだまだ勉強不足でお話出来ることはほとんどありません。しかし、競争の原理については全くなくすべきではないと思っています。全ての子ども(ひと)が自分のすきなこと、得意なことを見つけ、お互いにそれを認め合うことが出来るのは、他人との比較があるからです。絶対的なものの見方や考え方しか教えないのは、他人との関わりを避けてしまい、それこそ自分だけの正義を作り上げてしまわないとも限らないのです。
競争から生まれる向上心というものもあるはずです。
教育勅語も、全てがおかしいというわけではありません。
憲法も教育基本法も、それを自分たちの都合のいいように解釈して利益を得ようとしている人間がいることがいちばん問題なのではないでしょうか。
・・・koiさんのお話とちょっとずれてしまったかも知れません。

『改憲問題』は市立図書館にはなかったので、いま借りている本を読み終えたらリクエストしてみます。
いつも面白そうな本を紹介して下さって、ありがとうございます。
Posted by ヤヤー at 2006年08月28日 20:00
私の改憲に反対する理由は極めて単純明快です。それは戦争のためだからです。
戦争をやるための改憲なのに、そういった意図をおしかくしゴマカすためのペテン的な言説がまかり通っています。それを見抜かなくてはなりません。
北朝鮮が攻めてくるなんて、はっきり言って荒唐無稽です。むしろ日本にアメリカの基地がいっぱいあって、全世界で残虐な戦争をやっていることのほうがずっと深刻な問題だと思っています。
教育基本法の「改正」については、「愛国心」をどうやって書き込むかというのが政府の狙いになっているのですが、この「愛国心」というのが曲者。自分の生まれ育った土地に対する愛着のことだと思っていると足元をすくわれてしまうということです。
教育勅語のなかみは、天皇のために身も心もすべて捧げよということなのです。これって、本当にいいことだと思いますか。そこには自立した生き生きとした個人なんてどこにもありはしないのです。
改憲派の人たちは、教育勅語も復活させたがっています。教育勅語には封建的家父長制的家族思想に基づく道徳観が述べられています。要するにそういう道徳観にもとづいたジェンダーフリー・バッシングがずいぶんと行なわれているようです。つまり、憲法24条も変えろということです。
教育勅語の価値観からすると、あの天才少女マチルダはとんでもない親不孝者。マチルダは絶対に許されない存在なのです。でもマチルダは間違っているのでしょうか。むしろマチルダにまったく無関心な親の態度こそが問題となるのではないでしょうか。無限の可能性をもっている子どもの成長のためには親はいかなる援助も惜しまない。それこそが本当に大事なことだと私は思います。
国のために身も心も捧げよと教育した結果、いったいどれほどの人が死んだのか、ということを思うとつくづくイヤになりますね。
Posted by koi at 2006年08月31日 02:08
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『9条どうでしょう』
Excerpt: だいぶ前に買っていた内田樹先生共著の『9条どうでしょう』 毎日新聞社、積んだま
Weblog: 岡田昇の研究室
Tracked: 2006-09-07 20:01
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