
「狂気。」, 2009/3/9
『リンさんの小さな子』なら、好きだと言う読者が多いだろう。
しかしこれは『灰色の魂』に印象が近い。
いやそれよりももっとずっと重苦しい空気を携えた作品だ。
僕はブロデック、この件にはまったく関わりがない。
この書き出しに「なんて責任逃れなことを」と思いつつ読み始めた。
けれども、時間を行きつ戻りつするその支離滅裂な物語が全貌を表すにつれて、そう自己弁護してもいい、するしかなかったのだと理解する。
ひとは見えないものを恐れ、知らないものを恐れ、理解できないものを恐れる(それ故に心惹かれたりもするのだが)。
そのうえ、とりわけじぶんの非道さや残虐さ、陰湿な部分を見せつけられることを恐れる。
アンデラーは、そういう存在だったのだ。
異質なものをなるべく遠ざけ、排除しようとすることが生物の本能であるとはしても、わざわざ異物を作り出してスケープゴートに仕立て上げる荒業は人間にしかなしえないことだろう。
人間の尊厳を踏み躙る行為の描写には吐き気をもよおしながらも目が離せない。
そう。途轍もなく面白いというよりはブロデックが何をしでかし、何をしなかったのか、これからどうなってしまうのか、どうするのかが気になって最後まで読み進めたというほうが正しい。
卑小なコミュニティの中に起こる狂気を、誰のこころにも潜んでいる狂気を、ブロデックという青年に半生を語らせることによって浮かび上がらせている。
読む者にそのことを意識させずにはおかない。考えずにはいられない。
第二次世界大戦は、未だにこれほどの狂気を孕んでいる。
はっきりと書かれてはいないものの、明らかにナチスドイツを連想させる所業が語られてゆく。訳者あとがきによれば、ブロデックの暮らす村もクローデルの故郷ロレーヌ地方をモデルにしたと考えられるということだ。
逆に言えば、世界から忘れ去られたようなそんなちっぽけな村でさえ、ナチスは見逃すこともせずに「民族浄化」を推進させた。恐怖によって、人々を支配したのだ。
「余所者」を怖れるあまりに、村人たちは非道な行動に走ってしまう。かつて村を占領した軍隊のように、たったひとりの旅人を恐ろしいものと見なし、排斥に掛かる。
ブロデックもまた「余所者」だった。子どものころからこの村に住みついているとはいえ、親をなくしたところを林檎売りのフェドリーヌに拾われてこの村に辿り着いたに過ぎないのだから。
時系列に沿って語られてはいないけれども、読みにくくはない。普段、わたしたちが話をするときもこんな感じではないだろうか。脈絡もなく話が飛び、過去も現在も一緒くたになってしまう。
そして行きつ戻りつしながら語られることでブロデックの置かれた立場が徐々に見え、混乱した状態が感じ取れるようになっている。
陰鬱な空気が垂れ込めるような文章が並ぶこの物語にも救いがあります。
赤ん坊のプップシェットの存在と、生きるために未来に向かって行くラストです。わたしは思わず拳を握りしめていました。
2007年ゴンクール賞を受賞。
この賞は高校生が選ぶんだけれど、第二次世界大戦をあつかったものがけっこう受賞してる印象があります。それだけ関心があるということなのか、先人たちの負の遺産を見極めようということなのかはわかりません。
でも、考えること、想像することを、わたしたち大人も止めてはいけないのです。
>>オカダさん
これよりも先に読んだ本についても書きたいと思っているのですが、なかなかことばになりません。
というか、太平洋戦争についてはわりと書きやすいのかも。
書くこと決まってるし…とはいっても考えることはその都度違っていて、今回は「じぶんを客観視する」ということをものすごく意識しました。
他者の目で見たじぶんの姿というものを。
また、他者の目を通してでしか「じぶん」を正しく捉えられないのではないかということとか。
面白いということばだけでは言い表せない本でした。
ブロデックや村人たちだけではなくて、じぶんの誰にも知られたくない部分が丸裸にされたような気持ちになる本でした。